は、聞いたことがありせん。対馬に鉱山があったことは事実。しかしながら、その時代に対馬で採れたのは「銀」でした(のちに鉛・亜鉛・銅を産出して、1970年代にカドミウム汚染の影響で閉山した)。

では『続日本紀』にあった「対馬嶋、金を貢ぐ」とは一体何だったのでしょうか?

これについて『続日本紀』がこんな記述も残していました。「後に五瀬(いつせ)の詐欺発露(あらわ)れぬ。贈右大臣、五瀬の為(ため)に誤(あや)またれしことを知る」とあったのです。現代風に言い換えると「のちに五瀬による捏造が発覚した。五瀬に騙されていたことが分かった」となります。どうやら金の製錬技術者であった三田五瀬(みた・いつせ)なる人物が、他所から融通した金を「対馬産」と偽って献上したらしいのです。

当時、日本では金の産出がなく、国外からの輸入に頼っていました。したがって国内での金産出が事実ならば、改元に相応しい慶事でした。しかしそれが捏造であったわけで、なんとも締まりの悪い話となってしまったのです。

これは大宝律令の制定という国家的事業が進行した時代の出来事。対外的にも独立国家としての体裁(法制度や元号制度などの整備)を必要としていた時代の出来事です。筆者は「五瀬なる人物が捏造の主犯だったのかどうか」をつい勘ぐりたくなるのですが、さすがに陰謀論が過ぎるかもしれませんね。