平清盛・・・

  • 2018.12.28 Friday
  • 10:01

みなさんおはようございます^^

 

 

 

 

今日は12月28日金曜日

 

 

 

 

今日の広島はちょっぴり雪が降って、少しだけつもりました!

 

 

 

 

寒いですが、明日からお正月休み!

 

 

 

さて、「今日は何の日」ですが、

 

 

 

今日は平清盛、平重衡に命じ、南都興福寺を焼き討ち(1180)の記事を書きたいと思います。

 

 

 

 

中原親能は重衡を牡丹の花にたとえ、九条兼実は「武勇に堪する器量」と彼を評しています。

 

 

 

重衡は明るい性格でいたずら好きでもあり宮中の女性からも大変人気があったようです。

 

 

 

清盛や時子にも溺愛され順調に出世を重ねていきます。そんな重衡の人生を一変させる出来事が南都焼き討ちでした。

 

 


清盛と後白河法皇の対立から端を発した鹿ケ谷の陰謀、治承三年の政変は関白藤原基房の解任、院政の停止と後白河法皇の幽閉という前代未聞の事態になります。

 

 

天皇家によって保護されてきた東大寺や摂関家の氏寺である興福寺にとっても受け入れがたい状況でした。

 

 


これまでも度々利権をめぐり清盛と対立してきた南都(奈良の寺院)勢力は、頼みとする後白河法皇と基房が処罰されたことにより、これまで持っていた利権を平氏に奪われるのではないかとの危惧を抱きます。

 

 

追い込まれた南都寺院は以仁王の挙兵に協力し平氏打倒の行動を起こすのです。

 

 


これに対し清盛は以仁王の挙兵を鎮圧すると重衡を大将にすえ南都寺院に対し攻撃を開始します。

 

 

 

南都勢力も僧兵を中心に迎え撃ち激しく抵抗します。

 

 

 

重衡は火を放ち相手が混乱する隙に一気に攻め落とす作戦にでますが、折からの強風で勢いを増した火は東大寺や興福寺を業火で覆いつくします。東大寺は本堂を含むほどんどを失い、興福寺も多くの伽藍が焼失します。

 

 


この南都焼き討ちにより重衡の評判は一変し、仏敵として憎しみの対象となってしまうのです。

 

 

 

清盛の死後、富士川の戦いで敗北を喫した平氏は重衡を大将に任命し源行家ら源氏と墨俣川で相対します。

 

 

参考文献:https://www.junk-word.com/taiga-drama/kiyomori/001738.html

 

 

 

「今日のお墓」

 

今日のお墓はこちら!

 

 

 

 

 

これは知ってる人が多いんじゃないでしょうか?

 

 

 

きたろう(幾多郎)の生みの親。水木しげる先生のお墓です^^

 

 

気になった方は是非行ってみください^^

 

 

さて、広島平和霊園は12月29日〜1月4日までお休みを頂ます^^

 

 

次回のブログの更新は1月5日です!

 

 

みなさまよいおとしをお向かえください。

 

広島平和霊園

 

https://hiroshima-heiwareien.com/index.html

 

 

 

 

 

 

 

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