黒澤明監督第1回作品「姿三四郎」封切(1943) 広島平和霊園 3月25日 大映 松竹 映画 争奪戦 新人 監督 東宝 獲得 作家 雑誌 黒澤 小説 映画化 デビュー 当時 戦争 国家 クリア 上映 シナリオ 問題 英米 審査 100点 評判 スタート セット

  • 2019.03.25 Monday
  • 09:42

みなさんおはようございます。

 

今日あった出来事は・・・

「姿三四郎」で監督デビュー

 

 

姿三四郎

 

 

富田常雄原作の小説「姿三四郎」の新聞広告を見て黒澤は「これだ」と直感的に思い、読みもしていないのに企画部長のところへ駆け込むが、とにかく読んでからということになって、その日の夕方に書店で買って読むとやはりおもしろいということで、さっそく東宝が映画化のオファーを出したという。

 

 

 

 

この後、一日遅れで大映と松竹も映画権を取りにいき、3社間での激しい争奪戦になった。

 

 

 

ここで、なぜ新人監督で挑むP・L・C撮影所(後の東宝)が映画権を獲得できたのか?

 

 

 

それは原作家の富田常雄の婦人が、雑誌で黒澤の名前を知っていたという。そこには「有望な新人」として掲載されていたらしく、その記憶があった婦人が黒澤を推挙したという。

 

 

 

 

1943年、この直感的に出会った小説「姿三四郎」の映画化で黒澤は監督デビューする。

 

 

 

当時は戦時下で映画に対しても国家統制が掛けられており、検閲をクリアしてはじめて上映される運びであった。

 

 

 

 

シナリオ段階では問題はなかったが、完パケでは英米的な表現があるということで難色を示した。

 

 

 

 

しかし審査に立ち会った小津安二郎が「百点どころか百二十点だ」といって合格になったといわれている。

 

 

 

 

「姿三四郎」の評判は上々で興行成績も良く、黒澤は監督として幸先のよいスタートを切る。

 

 

 

 

日本軍のガダルカナルからの敗戦、連合艦隊指令長官・山本五十六の戦死、等暗い戦況ばかりが報道される国内で、「姿三四郎」のさわやかな物語は特に好感をよぶ。

 

 

 

 

この「姿三四郎」、公開が戦中ということで、なんと70年以上も前の作品です。

 

 

70年前に映画を作っていた人が1990年代に入っても精力的に活動をしていたというから、驚きます。

 

 


50年近く映画監督をやっていたということですね。

 

 

 

 

ラストの決闘シーンは、はじめはセットだったらしいが、それを不満に思った黒澤は会社に「自然をバックに撮りたい」とロケを要求。

 

 

 

新人監督としてはなかなか出来ないクレームを言ってのけ、見事自分の意見を会社に通してロケを行ったという。

 

 

 

 

一番美しく

 

 

 

続いて監督2作目、「一番美しく」をリリース。

 

 

 

 

この映画は「戦意昂揚と兵器大増産運動ばんざい映画」のはずだったが、黒澤は、女子挺身隊員たちの友情と責任感、人間としてのより良く生きる為の闘いにテーマをすり替えて製作した。

 

 

 

 

撮影前に作品の雰囲気作りから始めるという黒澤組の独自の撮影

 

 

 

方法は、この映画から始まったとされる。

 

 

 

 

同年、「虎の尾を踏む男たち」を製作するが、作品は検閲で見送られ、1952年に4作目として公開されることになる。

 

 

 

 

この作品に出演した女優の矢口優子と翌年に結婚しましたね。

 

 


この翌年戦後を迎えるわけですが、まあ日本が総力戦をやっている時でも映画を作っていたというのはすごいですね。

 

 

 

 

この時期、映画を作る以上はもちろんプロパガンダ映画であったわけですが、改めて見ると、映画でしっかりと伝えられていているのは「戦意高揚」というよりは、あの時代の日本人の女性たちの気高さと美しさではないでしょうか。

 

 

 

心に染みわたってきます。

 

 

 

友人でもある木下恵介監督は数有る黒澤作品でもこの作品が一番好きだという。

 

 

我が青春に悔いなし

 

 

戦後の第1作は「我が青春に悔いなし」。

 

 


このシナリオと、楠田清監督「命ある限り」のシナリオが似ているということが問題になり、黒澤側はやむおえず、シナリオを書き直す。

 

 

 

シリアスドラマは建築物のようなもの、手直しするといびつなものが出来る、という信条の黒澤は、

 

 

 

「青春に悔いなしどころか、大いに悔いありだ」と後々まで悔やんだらしい。

 

 

素晴らしき日曜日

 

 

1947年、焼け跡の市井の人々のスポットを当てた「素晴らしき日曜日」を製作。

 

 


毎日映画コンクール監督賞を受賞、高評価を得る。

 

 

 

脚本の植草圭之助とは幼馴染で、彼の得意としている人物像が登場するということで、冴えた脚本に仕上がっており、黒澤との意見の相違はほとんどなかったらしい。

 


しかし撮影で主役の沼崎勲の演技には悩まされたようで、「自分が下手な癖して「僕の演技プランでは…」なんて言いやがるから。

 

 

 

ほんとにぶん殴ってやりたいぐらいだった。」というぐらいのミスキャストであった。

 

 

 

途中、主人公が急にカメラ目線になり、スクリーンを見ている観客へ訴えかけるシーンがあります。

 

 


ここがこの映画の一番の見どころだと思うのですが、これは凄いいいです。やられます。

 

 


当時はどのように評価されたのか分かりませんが、今見ても引き込まれる何かを感じさせますね。

 

 

 

フランスの巨匠アラン・レネ監督が「映画史上最高に美しいシーン」と絶賛したと言われています。

 

 

 

姿三四郎モデルの人物はどんな人?

 

 

 

実在する人物で、西郷四郎さんという方がモデルになっています。

 

 

 

西郷四郎さんは1866年3月20日生まれ(〜没1922年12月)の明治時代の柔道家で、身長153僉体重は53kgだったとされています。

 

 

 

そのことからも、小柄で強い柔道家のことを「〇〇の三四郎」と呼ぶようになり、現代では1990年代に活躍した古賀稔彦(こが としひこ)さんが「平成の三四郎」と呼ばれています。

 

 

 

古賀稔彦さんは身長169僂念賈槐愽蕕づ蠅欧鯑整婬擦箸靴討い泙靴拭

 

 

 

 

西郷四郎さんは講道館四天王(こうどうかんしてんのう)と言われる4人の柔道家の一人で、柔道の実力者でもあり柔道を世の中に広める活動もしてきました。

 

 

 

奥さんはいましたが子供はいなかったそうで、病気のため56歳で亡くなった際には血の繋がりはない「孝之」さんという人物が後を継いだそうです。

 

 

 

姿三四郎は5度も映画化された鉄板作品

 

 

 

 

初めて映像化されたのは黒澤明監督の1943年公開作品ですが、その後も映画、テレビドラマ、テレビアニメと何度も映像化されています。

 

 

 

 

1943年(昭和18年)公開「姿三四郎」

 

 

 

 

 

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